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2020.08.14
シリーズ 戦争の経験を問う
特攻隊映画の系譜学
敗戦日本の哀悼劇
特攻隊をめぐる表象が戦後につくられたものではなく,戦中のそれの変奏的反復であることを,特攻隊映画の変遷を通して解き明かす.
著者 | 中村 秀之 著 |
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ジャンル | 書籍 > シリーズ・講座・全集 日本十進分類 > 歴史/地理 |
シリーズ | シリーズ 戦争の経験を問う |
刊行日 | 2017/03/28 |
ISBN | 9784000283816 |
Cコード | 0321 |
体裁 | 四六 ・ 上製 ・ カバー ・ 322頁 |
定価 | 3,520円 |
在庫 | 在庫僅少 |
戦後を通して映画や小説の中で描かれ続けてきた特攻隊.しかし特攻隊は,すでに戦中から雑誌や映画を通して儀礼的な表象として構築され流通していた――特攻隊をめぐる戦後の表象が事後的な想起や再現,美化や歪曲ではなく,戦中の変奏的反復であることを,『永遠の0』にいたるまでの劇映画の変遷を通して解き明かす.
凡 例
序 章 「戦争の経験」と特攻隊映画
戦争経験の語り方と戦争映画/本書の対象――特攻隊映画/歴史的事実としての特攻隊/先行研究/方法について/本書の概要/表題について
第一章 表象としての特攻隊──ニュース映画とグラフ雑誌
1 「生きてゐる神様」の創出──敷島隊の表象
(1)戦時期の視覚メディア――ニュース映画とグラフ雑誌/(2)敷島隊のイメージ/(3)「生きてゐる神様」の創出
2 死の儀礼──〈昇天〉と〈蕩尽〉
(1)ニュース映画における〈昇天〉のイメージ/(2)グラフ雑誌における〈蕩尽〉のイメージ
3 特攻隊表象の形式と論理
(1)青い空と白い雲――「特攻隊員のゆくえ」という問題/(2)表象の論理としての喪とメランコリー
第二章 〈状況〉としての特攻隊──戦時下の劇映画
1 戦争末期の映画界と実現しなかった特攻隊映画
(1)映画統制の転換と作品の変化/(2)幻の特攻隊映画――「神風特別攻撃隊」と「海軍いかづち部隊」
2 「国民」の特攻隊映画──『必勝歌』(一九四五)と『乙女のゐる基地』(一九四五)
(1)歴史の巻き戻し――『必勝歌』/(2)女性映画と特攻隊――『乙女のゐる基地』
3 敗戦日本を哀悼する──『最後の帰郷』(一九四五)
(1)「感動的な特攻隊映画」/(2)心とその外部
第三章 〈体験〉としての特攻隊──ポスト占領期の特攻隊映画
1 〈運動体〉としての特攻隊映画──『雲ながるる果てに』(一九五三)①
(1)占領期からポスト占領期へ――検閲の転換と「戦記もの」/(2)大衆文化の中の独立プロとサークル
2 戦後特攻隊映画の範例(パラダイム)──『雲ながるる果てに』(一九五三)②
(1)「神様」から人間へ――特攻隊映画のドラマツルギー/(2)生きている人間の〈蕩尽〉と〈昇天〉――テクストのせめぎ合い
3 範例からの展開──『人間魚雷回天』(一九五五)
(1)死と生の主題化/(2)〈蕩尽〉と〈昇天〉の齟齬
第四章 娯楽としての特攻隊──高度経済成長初期の特攻隊映画
1 特攻の「活劇」化──『人間魚雷出撃す』(一九五六)
(1)日活の転換――「太陽族映画」から戦争映画へ/(2)アクション映画における特攻の動機づけ
2 特攻隊映画の「むずかしさ」──『最後の戦斗機』(一九五六)と『殉愛』(一九五六)
(1)成立しない〈昇天〉――『最後の戦斗機』/(2)阻まれる〈昇天〉――『殉愛』
3 範例からの退行──『「雲の墓標」より空ゆかば』(一九五七)
(1)物語の倫理と憂鬱――特攻隊小説『雲の墓標』/(2)〈昇天〉による包摂――『空ゆかば』
第五章 ジャンルとしての特攻隊──撮影所時代の特攻隊映画
1 ジャンル化とその諸相
(1)事後性の効果としてのジャンル/(2)特攻隊映画のジャンル的な特徴
2 作家たちの抵抗と折衝
(1)特攻隊映画のむずかしさ再び――『紺碧の空遠く』/(2)〈昇天〉への抵抗――『あゝ同期の桜』
3 ジャーナリズム映画批評による総括(一九七四)
(1)「自己正当化」批判――佐藤忠男「特攻隊映画の系譜」/(2)「対立のドラマツルギー」――波多野哲朗「特攻映画30年目の自問自答」
終 章 〈記憶〉としての特攻隊──ポストモダンの特攻隊映画
1 特攻隊映画における〈証言〉と〈記憶〉
2 ポストモダンの特攻隊映画における〈記憶〉の構築と表象の変容
(1)儀礼の映画的再開――『男たちの大和YAMATO』/(2)「ホタル」の想像力と鳥濱トメの二つの表象/(3)儀礼の公共化と表象の自壊――『永遠の0』
注
特攻隊映画・作品リスト
あとがき
索 引
序 章 「戦争の経験」と特攻隊映画
戦争経験の語り方と戦争映画/本書の対象――特攻隊映画/歴史的事実としての特攻隊/先行研究/方法について/本書の概要/表題について
第一章 表象としての特攻隊──ニュース映画とグラフ雑誌
1 「生きてゐる神様」の創出──敷島隊の表象
(1)戦時期の視覚メディア――ニュース映画とグラフ雑誌/(2)敷島隊のイメージ/(3)「生きてゐる神様」の創出
2 死の儀礼──〈昇天〉と〈蕩尽〉
(1)ニュース映画における〈昇天〉のイメージ/(2)グラフ雑誌における〈蕩尽〉のイメージ
3 特攻隊表象の形式と論理
(1)青い空と白い雲――「特攻隊員のゆくえ」という問題/(2)表象の論理としての喪とメランコリー
第二章 〈状況〉としての特攻隊──戦時下の劇映画
1 戦争末期の映画界と実現しなかった特攻隊映画
(1)映画統制の転換と作品の変化/(2)幻の特攻隊映画――「神風特別攻撃隊」と「海軍いかづち部隊」
2 「国民」の特攻隊映画──『必勝歌』(一九四五)と『乙女のゐる基地』(一九四五)
(1)歴史の巻き戻し――『必勝歌』/(2)女性映画と特攻隊――『乙女のゐる基地』
3 敗戦日本を哀悼する──『最後の帰郷』(一九四五)
(1)「感動的な特攻隊映画」/(2)心とその外部
第三章 〈体験〉としての特攻隊──ポスト占領期の特攻隊映画
1 〈運動体〉としての特攻隊映画──『雲ながるる果てに』(一九五三)①
(1)占領期からポスト占領期へ――検閲の転換と「戦記もの」/(2)大衆文化の中の独立プロとサークル
2 戦後特攻隊映画の範例(パラダイム)──『雲ながるる果てに』(一九五三)②
(1)「神様」から人間へ――特攻隊映画のドラマツルギー/(2)生きている人間の〈蕩尽〉と〈昇天〉――テクストのせめぎ合い
3 範例からの展開──『人間魚雷回天』(一九五五)
(1)死と生の主題化/(2)〈蕩尽〉と〈昇天〉の齟齬
第四章 娯楽としての特攻隊──高度経済成長初期の特攻隊映画
1 特攻の「活劇」化──『人間魚雷出撃す』(一九五六)
(1)日活の転換――「太陽族映画」から戦争映画へ/(2)アクション映画における特攻の動機づけ
2 特攻隊映画の「むずかしさ」──『最後の戦斗機』(一九五六)と『殉愛』(一九五六)
(1)成立しない〈昇天〉――『最後の戦斗機』/(2)阻まれる〈昇天〉――『殉愛』
3 範例からの退行──『「雲の墓標」より空ゆかば』(一九五七)
(1)物語の倫理と憂鬱――特攻隊小説『雲の墓標』/(2)〈昇天〉による包摂――『空ゆかば』
第五章 ジャンルとしての特攻隊──撮影所時代の特攻隊映画
1 ジャンル化とその諸相
(1)事後性の効果としてのジャンル/(2)特攻隊映画のジャンル的な特徴
2 作家たちの抵抗と折衝
(1)特攻隊映画のむずかしさ再び――『紺碧の空遠く』/(2)〈昇天〉への抵抗――『あゝ同期の桜』
3 ジャーナリズム映画批評による総括(一九七四)
(1)「自己正当化」批判――佐藤忠男「特攻隊映画の系譜」/(2)「対立のドラマツルギー」――波多野哲朗「特攻映画30年目の自問自答」
終 章 〈記憶〉としての特攻隊──ポストモダンの特攻隊映画
1 特攻隊映画における〈証言〉と〈記憶〉
2 ポストモダンの特攻隊映画における〈記憶〉の構築と表象の変容
(1)儀礼の映画的再開――『男たちの大和YAMATO』/(2)「ホタル」の想像力と鳥濱トメの二つの表象/(3)儀礼の公共化と表象の自壊――『永遠の0』
注
特攻隊映画・作品リスト
あとがき
索 引
中村秀之(なかむら ひでゆき)
1955年静岡県生まれ.立教大学教授.映画研究.
著書に『敗者の身ぶり──ポスト占領期の日本映画』『映像/言説の文化社会学──フィルム・ノワールとモダニティ』(岩波書店),『瓦礫の天使たち──ベンヤミンから〈映画〉の見果てぬ夢へ』(せりか書房),『〈ヤミ市〉文化論』(ひつじ書房,共編著),『甦る相米慎二』(インスクリプト,共編著),『映画の政治学』(青弓社,共編著)ほか.
1955年静岡県生まれ.立教大学教授.映画研究.
著書に『敗者の身ぶり──ポスト占領期の日本映画』『映像/言説の文化社会学──フィルム・ノワールとモダニティ』(岩波書店),『瓦礫の天使たち──ベンヤミンから〈映画〉の見果てぬ夢へ』(せりか書房),『〈ヤミ市〉文化論』(ひつじ書房,共編著),『甦る相米慎二』(インスクリプト,共編著),『映画の政治学』(青弓社,共編著)ほか.
書評情報
北海道新聞 2017年5月28日
日本経済新聞 2017年5月20日
日本経済新聞 2017年5月20日