生キ残レ 少年少女.

「農業という文化を棄てた国が栄えたためしはない」.日本の農と食のひずみを「焼跡・闇市派」の作家が撃つ.

生キ残レ 少年少女.
著者 野坂 昭如
通し番号 文芸142
ジャンル 書籍 > 岩波現代文庫 > 文芸
日本十進分類 > 文学
刊行日 2008/12/16
ISBN 9784006021429
Cコード 0136
体裁 A6 ・ 並製 ・ カバー ・ 250頁
在庫 品切れ
「生キ残レ 少年少女.」はコメのテレビCM制作時のコピーである.「二度と飢えた子供の顔はみたくない」という著者の気持ちがこめられている.「農業は文化である.農業を棄てることは文化を棄てること.文化なき国が栄えたためしはない」.自給率低下,汚染米や毒入り野菜など日本の農と食のひずみを「焼跡・闇市派」の作家が撃つ.


■内容紹介
 2008年の現在,世界各地で食糧不足が深刻化し,日本の自給率は30%台に落ち込んでいます.
 野坂昭如さんは「焼跡・闇市派」の作家として1974年の参議院選挙で東京地方区から立候補したさい,「二度と飢えた子供の顔は見たくない」というスローガンを掲げて戦いました(結果は次点で落選).
 野坂さんは以前から食糧問題に関心が深く,主要テーマの一つであり続け,今日に至っています.最近の主張は『毎日新聞』の隔週連載「七転び八起き」や,TBSラジオの「永六輔の土曜ワイド」中のコーナー「野坂昭如さんからの手紙」などでうかがうことができます.
  1966年に初めて米が余りました.食管法による政府の買い入れ米と消費者の食べる量のバランスが崩れたのです.以来減反政策が続けられて,今日に至っています.農業従事者は減少の一途をたどり,水田は転作や宅地化の結果激減しました.野坂さんはこうした傾向に違和感を覚え,茨城,新潟,鳥取,熊本に1反ずつ田んぼを持ち,70年代半ばには村を歩きまわり,農民と語り,自ら米作りに取り組みました.
 それ以来,食糧問題を扱った著書は,本書の他に『堕ち滅びよ驕奢〔きょうしゃ〕の時代』(家の光協会/1976年),『かくて日本人は飢死〔うえじに〕する』(PHP/2000年)などがあります.それらの中でも本書は著者の経験と,日本文化とコメとの関係について最もよく思いのたけが語られている本です.
 本書は昭和天皇の死の直後の1989年6月に刊行されました.著者は「まえがき」で「『生キ残レ 少年少女.』というのは『おコメのTVコマーシャル』の制作の時に作ったコピーである.この言葉の中には『二度と飢えた子供の顔はみたくない』という,ぼくなりの気持が入っている」,「農業を棄てた国に未来はない.農業というのは文化だと思う,農業を棄てるということは,文化を棄てるということ,文化なき国が栄えたためしがない」と語りかけています.
 著者はまた,「食」の問題は躾けや教育の問題でもある,と本書の中で繰り返し述べています.「親は食事の師匠である」という章で著者は,「ぼくの考えでは,国際人とやらの身につける何よりのものは,外国語でも,その国の事情に通じることでもない,『飯をきれいに食べる』『飯を粗末にしない』『飯をチャランポランに食べない』の三つ」であるとし,「食事は単に,腹を満たせばいいわけのものじゃない.一食一食にわれわれの先祖から伝えた知恵がこもり,文化を担っている,そしてそれはとりあえず形にあらわれる」と結論づけます.そして現代日本人の「ホント,信じがたい」食べかた,粗末にしかた,残し方は食い物の自給率に関係があるという独自の説を唱えています.
 野坂さんは本文庫版のために書き下ろした「あらためて『生キ残レ 少年少女』」と題する文章で,次のように述べて本書をしめくくっています(改行省略).

 日本は島国だ.本来,島で出来るもの,また周辺の海で獲れた魚で身を養うのが当然である.自分だけが良ければいいという思いが底にある.食を他国に任せて何が独立国といえるか.ぼくは覚えている.配給の惨めさを.飢えの辛さを.大人たちが,これ以上見て見ぬふりを続ければ,平成の少年少女の先はない.ぼくに出来ることはそう多くないだろう.しかし,米の大事さ,農の大切さを,ぼくなりに言い続ける.「生キ残レ 少年少女」

 さて,本書のおたのしみはさらに二つ.一つは解説にあたる「檄」です.著者は「歌手ノサカ専属作詞作曲屋」桜井順さん.自己紹介をもかねたこの「檄」は前掲「おコメのTVコマーシャル」制作時のエピソードも織りまぜて,とにかく秀逸です.野坂コメコメ教の「おふでさき」の文章をお娯しみください.抱腹絶倒うけあいです.
 二つめはカバー.「野坂昭如ルネサンス」のときと同じく原画は和田誠さんにお願いしました.耕運機を操作する若き日の野坂さんの姿が描かれています.
(T・H)


※本書は1989年6月,家の光協会より刊行された.原載は『地上』1987年3月号-88年12月号および『家の光』88年9月号など.文庫化にさいし「あらためて『生キ残レ 少年少女』」(書き下ろし)を追補した.
 まえがき

生臭坊主 辻説法に手応えあり
やみつきになった担ぎ屋人生
大日本棄農帝国に未来はない
米主主義者が選挙をみれば
米の輸入は国土を棄てることだ
黄金の稲穂満つる国たることを忘れるな
米を棄てては生きていけない
瑞穂の国の人びとへメッセージを送ろう
穂波ゆれる秋に農の想いを撮る
宅地並み課税で騒ぐ一石二鳥の嘘を暴け
「飢え」を伝えぬ棄農の果てに明日はない
農を忘れた瑞穂の国は“愚者の楽園”
食卓で顰蹙をかう日本人に未来はあるか
真の国際化は美田を潰さない
土に拠って生きる人の言葉を伝えたい
先祖伝来の食が日本を救う
天皇と昭和と米
ひどい世の中じゃ こわい世の中じゃ
生キ残レ 少年少女.
戦中戦後 飢えの食物考
親は食事の師匠である
ふたたび辻説法の旅へ…
あらためて「生キ残レ 少年少女」

 「檄」(桜井順)
野坂昭如(のさか あきゆき)
1930年鎌倉市生まれ.45年神戸大空襲で養父を失う.47年新潟の実父のもとへ帰る.50年早稲田大学文学部仏文科に入学し,7年間在学.音楽事務所勤務,コント台本作成,作詞等に従事.63年「エロ事師たち」発表.68年「アメリカひじき」「火垂るの墓」で第58回直木賞受賞.80年「四畳半襖の下張」裁判で有罪確定.83年参議院議員当選.同年の総選挙に際し田中角栄元首相の地盤・新潟三区から立候補し落選.97年『同心円』で第31回吉川英治文学賞受賞.2002年『文壇』およびそれに至る文業により第30回泉鏡花文学賞受賞.なお,岩波書店で刊行された野坂さんの著作には,岩波現代文庫『野坂昭如ルネサンス』全7巻(2007年5月~2008年3月刊),小野周さんをはじめ6名の科学者との対談を収めた岩波新書『科学文明に未来はあるか』(編著/1983年3月刊)があります.
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